女性の健やかな暮らしをお手伝いするナースセラピストにゃおのブログ

全ての女性に知っていて欲しい、自分を大切にする方法

段階別⑥老年期

みなさまおはようございます(*´▽`*)♡


女性の心地よい健やかな暮らしをお手伝いする ナースセラピストにゃおです♡


シリーズ化している発達段階別

段階別 ① 乳児期〜幼児期前期 - 女性の健やかな暮らしをお手伝いするナースセラピストにゃおのブログ

段階別② 幼児期後期から学童期 - 女性の健やかな暮らしをお手伝いするナースセラピストにゃおのブログ

段階別 ③ 青年期 - 女性の健やかな暮らしをお手伝いするナースセラピストにゃおのブログ

段階別④成人期 - 女性の健やかな暮らしをお手伝いするナースセラピストにゃおのブログ

段階別⑤壮年期 - 女性の健やかな暮らしをお手伝いするナースセラピストにゃおのブログ




さて今日は最終段階


⑥老年期(統合性 対 絶望)です。


最近老年期という言葉はあまり使われず、エイジング期と言う言い方が多いですが。笑


最近は60代、70代では十分若いですからねぇ〜。



さてさて


この時期は多くの人が仕事を定年退職し、老後の生き方を模索していることと思います。


寿命を前にして、これまでの人生を振り返ることもあるでしょう。


それぞれの発達段階において、心理社会的危機を乗り越え、「力」を発揮出来たでしょうか。


満足のいく人生だったでしょうか。


自分の死後に残るものはあるでしょうか? 


これらの質問に納得がいったならば、最後に「賢さ(wisdom)」を得られるでしょう。




しかし、自分の人生に満足がいかず、多くの後悔を抱えていたらどうでしょうか? 


子どもの頃や青春時代、大人になってから……


それぞれの発達段階に対し「こんなはずじゃなかった」という気持ちが強いと、


人生をやり直したくなるかもしれません。


しかし、時間を巻き戻せるわけはなく、寿命が迫っています。


絶望的な気分となり、穏やかに余生を送る、というのは難しそうです。




自分の人生に責任を持って、


自分で決めた事をその都度真面目にやっていたなら、きっと後悔は無いはず。


貨幣価値に縛られず、本当の意味で豊かな人生を送れているのでは無いでしょうか。



お金持ちと呼ばれる人でも、


例えば池袋で自動車事故を起こして多数の死傷者を出したにも関わらず、


まるで自分は悪くない、かのような声明を出されていたような人は、


果たして本当に、豊かで幸せなのでしょうか、と感じます。




政治も、次世代のことを考えたら、


1つ前の壮年期のブログを参考にしていただくと良いですが、


次の世代に残すもの、伝えるもの、を考えたら、


今の政治は、どうなんだろうなぁ???


高齢化しすぎじゃない???


と思ってしまうのは私だけでは無いはず。



自分の立場を悪用してのうのうと暮らすのと、


世界を良くするために、自分の力で出来ることを、負の財産を残さないようにしていくことが出来ること、


どちらが真の豊かさ、なのかなぁと思います。




性の観点においても、


自分で自分を慈しむ事が出来る人


性的な関係があるとかではなく、好きなものがきちんとわかっていて、


ときめきがあって、丁寧に暮らしている人は、いつまでも若々しいと感じます。




そして、この時期、多くの方が、認知症になる事もあり得ます。


ありがたいことにお世話させていただく立場にあるのですが、


可愛らしい認知症の方と、


可愛くない、ある意味憎たらしい、タイプの方といらっしゃいますね。


それまでの生活を深く突っ込んだ事が無いのでなんとも言えないのですが、


その違いはなんなのだろうなぁ、と感じます。



でも感じるのは、


周りの人に大切に愛されていた人は、可愛らしい人が多く、


施設に入れたら入れっぱなし、という家族の人は、かわいそうな方が多いな、と感じます。



近くにいらっしゃらなくても、


寄れる時はよってくださる家族さんの利用者さんと、


近くても殆ど面会に来ない利用者さんとでは、



やはり、前者の方が可愛らしいです。




私たちは仕事で接してますし、1日のうちで接する時間も限られているので


家でずっと見ている家族の方の苦労は計り知れませんが、



総じて感じるのは、


隠さず、いろんな人に頼る事、笑い話にしてしまう事(この心境に至るまでは大変かと思いますが)


が、家族さんにとっても、楽なのではないかと思います。




ちょっと話が逸れてしまいましたが、


絶望を感じないで、生きていくためには、


心地よいコミュニケーションが欠かせないと思います。




親や、周りの育ててくれる人たちからの温かい愛情のこもったコミュニケーション


それを土台に、自分がどう生きて生きたいか、どう在りたいのか、自分自身とのコミュニケーション


自分の選択と、責任においての他者とのコミュニケーション



そういったものが重要であると感じます。




性=人として生きる


性教育には、性的成熟におけるカラダからの観点のものと、


自分や他者とのコミュニケーション(ココロ)からの観点のものとがあるのです。



性教育は、恥ずかしいものでも、秘め事でもなく、


人として健全に生きていくために必要な事という視点を持って



自分も他者も大切にしていく


事を学び、伝えていけたらと感じます。